娘が持っていたもの
ずいぶんとご無沙汰していました。
波乱の受験当日から、発表までの宙に浮いたような落ち着かない2週間ほどをソワソワしながら過ごし、ようやくPCをポチッとすれば合否がわかるところまでたどり着きました。
娘は、もしも不合格だった場合、京都の私大に通うことになっていたので、そこでの下宿部屋を探すべく、分岐点となる駅ホームで朝から父親と待機していました。
それで朝9時にはわかるはずが…何度試みてもシステムエラーの繰り返し💦💦
結局これは新聞にも掲載されたほどの不具合で、結局昼過ぎまで苦悶の時間を過ごすはめになったのでした😂
そんな中、ポロっとやってきた通知は…
合格💮❣️
それがわかった時の娘の顔が見られなかったのは残念でしたが、喜びの声は電話で聞かせてもらいました。
高校合格の時も、「自分の受験番号を見つけた時、いっぱいの人の顔が浮かんだ。皆に本当に本当にありがとうと言いたい。」と言っていた娘でしたが、
今回、特にずっと一緒に頑張ってきた友人達の存在が大きかった、と言います。
高校3年間、同じ塾に平日土日問わず毎日毎日通い続け、不安な気持ちを相談し合い、わからないところは教え合い、時には塾を脱走して映画やカフェに行ってみたり…😆💦
「私は自分なりに頑張ってると思ってたけど、その子たちの頑張りを見たら私なんか全然まだまだやと思わされる。
ほんまにあの子たちはすごいねん!尊敬する!めっちゃ優秀やのに、全然偉ぶらないで、性格もいいし。
ほんまにいてくれてよかった…。」
こんな話を娘はよくしていました。
受験勉強なんて一人で黙々と頑張るもの。
私はそう思い込んで疑っていませんでした。
でも娘の受験生生活にはいつも共に頑張る仲間たちの名前があふれていました。
私も旦那さんも娘からその友人達の近況を聞くたび、顔も知らないのに、勝手に娘みたいに思えてしまうくらいでした。
センター試験の後、結果が思わしくなくて、泣きながら志望大学落とすねって話してくれた友達。
一緒の大学目指していたけど、別々の道を歩むことになり、それでも娘の合格を喜んでくれた友達。
朝が苦手で週末はいつもスタートが遅い娘に、朝から約束して塾に引っ張って行ってくれた友達…。
本当に本当に、ありがたい仲間たちがそばにいてくれたからこそ、あの凄まじい…としか言いようのない勉強時間、勉強量をこなし、闘い切れたんだなあと思います。
親があれもこれも、と用意してあげなくても、いつのまにか、子供はいろんなものを自分のエネルギーに換えるチカラを持っていたんですね。
。
あと一週間で、娘は一人暮らしを始めるため、この家から巣立ちます。
まだ全然実感が湧きませんが…。
でも我が家の第2ステージが始まる!!とワクワクした気持ちでいます😊✨✨